旅も自転車もド素人なのに四国一周した話(4)
前回までの記事
前回の記事
nikudarumasikakuhead.hatenablog.com
最初の記事
nikudarumasikakuhead.hatenablog.com
2018/12/22 【徳島編PART2】焼山寺に行ったら、心と身体が燃えつきた話
旅を振り返って、進度が悪かった日ランキングなんてものを作るとしたら、この日は間違いなく五本の指に入る。
観光に充てた日を除くと、ぶっちぎりで1位。
バスの中で寝過ごしたところから始まった。
自転車旅行にもかかわらずバスに乗っていたのは、この日が雨&結局あとで出発点に戻ってくるため荷物を抱えていくだけ無駄、というのが理由だった。
自転車はJR徳島駅横の駐輪場に、荷物はリュックサック以外を構内のコインロッカーに預けた。
それが朝6時のことだった。出発時刻をネカフェの9時間パックに合わせたのはいいが、辺りはまだ真っ暗だったのを覚えている。
乗車予定のバスが徳島駅バスターミナルにやってくるまで、1時間ほど待たなければいけなかった。
カフェなど営業している時間ではない。
陽も昇らず小雨が降る中、ただ待つのは退屈以上に体に堪えた。
時間になってやってきたのは、四国遍路13番・大日寺行きのバス。
車内は暖房が効いていて、冷え切った体で乗った僕はすぐに眠気に襲われた。
起きたときには4駅ほど通過していて、急いでバスを降りた。
10キロほどあるリュックサックを背負って、3~4キロほど徒歩で戻ると山門が見えてきた。
参拝を終えると、またバス停で小一時間ほど待った。
市街のほうなら話は別だろうが、基本的にバスの運行は1時間に一本、下手したら数時間に一本だ。
それでも、もしここで徳島駅のほうへ戻っていたら「進度の悪かった日ランキング ぶっちぎり1位」など獲得することは無かったはずだ。
つまり、ここからが本番。
再びバスに乗って向かったのは、四国遍路12番・焼山寺。
あとあと聞いた話によると、四国遍路最大の難関として有名な寺院らしい。
……たしかに、難関でしかなかった。
まず最初の難関(?)はそのアクセスの悪さだ。
大前提として、焼山寺は標高700メートル、かなりの山奥にある。
当たり前のようにバス一本で行くことができない。
乗り換えは寄井中というバス停。そこから「焼山寺」行きのバスが出ているには出ているのだが、一日に3本しか運行していない。
しかも、その「焼山寺」という駅、実際には山の麓までしか行かないのだ。そのため、結局残る4~5キロほどの山道は徒歩で行くか、タクシーを呼ばざるを得ない。
僕もとりあえずは寄井中までバスで行った。
そこから焼山寺までは9キロ弱。例の一日に3本しか運行していないバスを待つか考えたのだが、雨の中で待つのも辛いし、結局歩いたほうが早いので歩くことにした。
タクシーは最初から呼ぶ気がなかった。
僕は「待つ」という行為が得意ではないので、山道を9キロ歩くという選択が間違いだったとは思っていない。
ただ、山へのトラウマが加速したのも事実だ。
今までで一番の急勾配、降りしきる雨、肩に食い込むリュックサック。全てが体力を奪っていった。
標高が高くなってくると、霧が立ち込めてきた。雨も霧状に変化し、傘むなしく服を濡らしていった。
しばらくして全身がびしょびしょになると、ウインドブレーカーの中に閉じ込められた熱と作用して湯気が出始めた。
心を無にして登っていると、霧の向こうに焼山寺の姿が微かに見えてきた。
途端に、ぐるぐる曲がりくねる山道が焦れったく心が荒れ始めた。
目的地が見えているのに、思うように前に進まないことがストレスなのだ。
「ショートカットでもあったらいいのに」
と思い始めたタイミングで現れたのは歩行者用ショートカット。
喜んでそちらへ進んだのが、ショートカットということは当然勾配が急になる。
しかも、少し進むと雨でぬかるんだ獣道が始まったので、デスコンボの完成ありがとうございますという感じだった。
それでも、たかが9キロ。一時間半も歩けば到着するものだ。
正直に懺悔するが、参拝の途中は「帰りは絶対、麓からバスに乗ってやる」ということしか考えていなかった。
先ほども書いたように、麓から寄井中までは少しの距離しかないのだが、少しでも楽したかったのだ。
ところが、御朱印をいただく頃にはバスの時間まで30分を切っていたので、僕は急いで山道を駆け下りた。
時速10キロで行けば間に合う計算。下りということもあって、結論としては間に合ったのだが、代わりに脚が未だかつてないほどくたくたになった。
寄井中に戻ると、今度は徳島駅行きのバスが来るまで2時間待たなくてはならなかった。
濡れた体のままじっとしていると、どんどん体力を奪われていくようだったので、脚をしばらく休ませたあとはバス停の周辺を散策していた。
バスに乗ったあとは気を失うように眠っていた。
帰りは降車駅が終点なので寝過ごす心配はない。
徳島駅に着いた後は、びしょびしょになった靴を洗濯したかったのでコインランドリーに寄り、身体を温めるため再びあらたえの湯に行った。夜は当然のようにネカフェだった。
と、こういう風に、一日かけてネカフェから同じネカフェへ移動したのだ。
お遍路という側面では
本当に修行のような日だった。
2018/12/23 【徳島編PART3】"先生"に出会った話
この日はせっかく徳島市にいるのだからと、定番スポットを観光することにした。
もちろん二日連続で進度を悪くするわけにもいかないので、午後からは自転車に跨った。
徳島と言えば、阿波踊り。
ということで最初に向かったのは、阿波おどり会館。
ホールで阿波おどり公演を観ることができる。
進行役の方が歴史について解説し、それに沿って当時の踊りを実演してくれるという流れだ。
それまで阿波踊りというと、笠を被った集団がやぐらの周りをグルグルするような固定概念的なイメージしかなかったのだが、実は激しい踊りもあったりなど新発見があった。
(解説時は英語や中国語の字幕がスクリーンに表示されていて多文化対応。)
そして驚いたのは、観客はただ公演を観るだけでなく、一緒に踊る時間が設けられているということ。
自由参加だということもあって、せっかくの機会を勿体ないと感じつつ、足首の疲労を引きずっていた僕は見学した。
そのあとは阿波おどり会館から出ているロープウェイに乗って、眉山に行った。
夜景が綺麗なことで有名なので本当は夜に行きたかったのだが、12月はロープウェイが運行していないとのことで断念した。
それでも、徳島市を一望できるだけあって絶景だった。
眉山はアニメとゆかりがあるようで、『Fate』シリーズとコラボしていたり――
アニメ喫茶があったり、休憩所にはアニメ業界で有名な方々の手形が飾られていた。
写真はその一部で、中村繪里子さん・浅倉杏美さん・下田麻美さん・諏訪部順一さん・植田佳奈さん・杉田智和さんの手形だ。
眉山を降りると、次はひょうたん島クルーズという市街を流れる川を30分かけて周遊する遊覧船に乗った。
僕は知らなかったのだが、徳島は水の都として有名らしい。
遊覧船という言葉の響きからは想像できない速さが出る船で、高さすれすれの橋の下を通ったり、街の様子を見ながら風を受けるのは気持ちよかった。
運転手の方も盛り上げ方がお上手で、彼が飛んでいるカモメに餌付けすると、カモメは船の後ろをついてきた。
また、クリスマスシーズンということもあって、周遊する川の上にはボランティアのサンタさんが10人ほどサーフボードの上で待機していて、船に向かってプレゼントを投げ込んでくれた。
午後を回ると自転車に乗り、お遍路の続きをすることにした。
善人の証。
と、そこでうっかりしたことに、その日の宿を取っていないことに気付いた。
昨晩はとにかく疲れていて、すぐ寝てしまったので失念していたのだ。
立江寺の前の休憩所に腰掛け、スマホで周辺の宿を検索してみた。宿はあるにはあったのだが、どれも手が出せないような価格帯で、どこにするか決めかねた。
うーん、と唸っていると、向こうの方から三人の酔っ払いがやってきた。
そのうちの一人、他の二人から「先生」と呼ばれていた男が僕を見て話しかけてきた。
内心で「うーわ、酔っ払いに絡まれたよ」と悪態を吐いていると、案の定、三人は僕を囲むように立ち、酔っ払いのテンションで何をしているのかだの年齢だのをいろいろ聞かれた。
宿探しの最中だった僕は先を急いでいる風を演出してみるのだが、逆に肩なんかをガッチリ掴まれて離してくれなかった。
そして先生は「家帰っても奥さんと二人なんや、逃げないでくれよ」と酒臭い息を漏らしながらに言った。
それを聞いた一人が「良かったな、旅の人。先生が泊めてくれる言うとるわ」。
奇跡のような驚きの展開だった。
今思えば、先生は僕が宿探しをしていることを見越して声をかけてくれたのかもしれない。考えすぎかもしれないが。
普段の僕なら申し訳なさが勝って断るところだが、宿探しに困っていたのも事実だし、これも旅をしているからこそ経験できることだと、お誘いをありがたく受けることにした。
手の平くるっくるだ。
心の中で悪態を吐いたことを、心の中で謝った。
先生の家に向かう途中で他の二人とは別れた。
それからは先生の家族について教えてもらった。今は耳にハンデを抱える奥さんと二人暮らしで、三人の子どもは教師・医師・役者の卵でそれぞれ頑張っていることなど。
先生の立派な家に着くと、お母さんが出迎えてくれた。
緊張してしまって、ものすごい勢いで自己紹介してしまったのだが、お母さんの耳には聞こえていないようだった。
見かねた先生が僕の名前と事の経緯を説明してくれると、お母さんは「へぇ」という顔をした。
もっと驚かれると思った。
僕自身、お母さん視点では「旦那が飲みの帰りに見ず知らずの旅人を家に引っ張ってきた」という状況だと思っていたのだ。
いや、たぶんそれ自体は正しい。
ようするに、先生は今までもお母さんが慣れてしまうほど、飲みの帰りに見ず知らずの旅人を家に連れてきているということだ。
実際、お母さんの口から「だから、今更驚いたりしないのよ」と聞いた。
そういうのはドラマや小説の中だけの話だと思っていた。
人間とはもっと他人に無関心で冷たいものだと、そう思っていた。
別にそう考えるのは僕だけじゃなく、自分の判断で生きることを求められる年齢の人にはある程度共感してもらえることだと思う。
だから、先生の思いやりが本当に理解できなくて、本当に感動した。
だが、先生とお母さんのすごさはこれだけじゃなかった。
お母さんは僕がお邪魔するなりお寿司を出してくれたのだ。
しかも、食後には劇団夢創という市民劇団の公演に連れて行ってくれた。
劇団夢創は徳島県阿南市に拠点を置き、子どもから大人まで幅広い年齢層から構成されている。
プロの演出家・スタッフを招き、年一回の公演に向けて日々全力で稽古に励むという。
公演後、僕は素直に「また観たい」と思った。
市民劇団の公演にどのような印象を抱くだろうか?
もしかしたら「子どもが出ているんだから芝居としての完成度より、それまで頑張ってきたことを褒めるべきで、それを楽しむべきだ」という見方があるかもしれない。
もちろん、劇団夢創でも子どもが頑張っている様子を微笑ましく観ることができる。
しかし、同時に芝居としての完成度もメチャクチャ高い。
ミュージカルだったのだが、子ども大人関係なく発声ができていたし、体もよく動きキレも良かった。
脚本や演出もプロがつけているだけあって素晴らしい。
何より劇団の「夢を創り、人をつくる」というコンセプトをしっかり体現しているのが素晴らしかった。
全体を通して、人の夢を応援する姿勢がひしひしと伝わってくるのだ。
たとえば、子どもだけでなく、劇団外部から駆け出し声優やデビューを控えたアーティストを招き、それぞれにワンシーン与えていたあたりがそう。
終演後、僕はすっかり泣いていた。
やや余談になるが、このあと僕は阿南市の市長から名刺をいただくことになる。
そもそも劇団の運営は市の文化事業の一つであり、市長も公演に顔を出されていた。
そして、実は先生は劇団関係者で、市長とも友人だというので紹介していただいたのだ。「一晩限りの居候だ」と。
終演後の盛り上がりが一段落すると、お母さんの運転する車で牛岐城趾公園に向かった。
阿南市は別に光のまちと呼ばれるほど、LEDが有名な街だ。
この牛岐城趾公園はそれを象徴するかの如く、綺麗なLEDでライトアップされていた。
クリスマスシーズンということで、サンタ衣装のアイドル(?)がライブをしていたり、出店も出ていたりで非常に賑わっていた。
ちなみに、牛岐城趾公園。恋人の聖地としても有名らしいのだが、こんな時期に旅している僕には耳の痛い情報だった。
先生宅に帰ると、ありがたいことに一番風呂をいただいた。
それから、お酒までいただき、三人であれこれ話をした。
正直、何を話したのかはよく覚えていない。
でも、一つだけハッキリ覚えていることがある。
「人生やりたいことやるのが一番。俺もそうしてきたし、息子たちにもそうさせてきた。それが幸せ。だから、若いうちは好きなことを限界までやったらいい」という先生の言葉だ。
「感銘を受ける」というのは、このことを言うのだと理解した。
このときから、先生は僕の師だ。
一日早い、だけど最高のクリスマスプレゼントをいただいた。
(続く)