旅も自転車もド素人なのに四国一周した話(12 終)
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- 2019/01/08【二度目の香川編PART1】ロマン溢れる、日本最古の芝居小屋の話
- 2019/01/09【二度目の香川編PART2】四国一周、最終日の話
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2019/01/07【愛媛編PART7】大変だったけど、振り返ると移動しかしてなかった日の話
この辺りから、自転車を漕ぐのが徐々にしんどくなってきていた。
最初は連日の疲労が溜まっているものだと勘違いしていた。
ところが、今治から20キロほど南にある西条市の産業道路に差し掛かったとき、そのしんどさは明らかに車体が原因であることに気が付いた。
後輪が1回転するたびにブレーキが掛かるような感覚がしたのだ。
急いで自転車を降りて確認すると、リムの一部が大きく歪んでいた。
それがフレームに擦っていたのだ。
おそらく最初に「漕ぎにくさ」を感じたときから歪み始めていたのだと思う。
思い当たる節はあった。
車の交通量が多い道路を走るときは、可能な限り歩道(もちろん自転車通行可の場所のみ)を走るようにしていた。
それは僕なりの自動車への配慮であり、僕自身が荷物を積んだ自転車で車の真横を走ることに抵抗があったからだ。
ただ、愛媛入りしてから歩道が高くなり、乗り上げるたび後輪の荷物が跳ねて大きな衝撃を感じるようになった。
愛媛が悪いというよりは、それまで山道や海岸沿いを走ることが多くて気付かなかっただけで、歩道を自転車で走るというのはそういうことなのかもしれない。
つまり、連日の疲労が溜まっていたのは自転車のほうだったのだ。
よく見ると、スポークが2本も折れていた。
スポークは1本折れると、衝撃をうまく分散できなくなり次々折れ始めるという。
その結果、リムが歪むのだ。
本来折れたスポークは車輪に引っかかっているはずなのだが、なぜかどちらも残っていなかった。
そのため1本目どころか2本目がいつ折れたのかさえわからない。
ただ、そんな初心者でも、これ以上乗っていると3本目もすぐ折れるということはわかった。
四国の良いところは、市街なら基本的に自転車屋があることだ。
とは言っても、一番近いところで5キロほどの道のりがあった。
その上、先ほど書いたように異変に気付いたとき移動していたのは産業道路だった。
歩道なんて当然のようにないし路側帯があると言っても気持ち程度。真横を走る大型トラックに怯えながら、自転車を押すのはひどく惨めだった。
それにしても、自動車の横を走ることを避け続けた結果、自動車の横を歩く羽目になるなんて皮肉が効きすぎだろう。
WINDS BIKES
僕が逃げ込むように修理を依頼したのは、ウイングバイクスさん。
愛媛県西条市にある、ご夫婦で営まれているスポーツバイク専門店で、快く修理を引き受けていただいた。
ものの20分ほどで完了。修理代はスポーク2本交換+リム矯正でたったの2000円。
手際の良さから本当に自転車がお好きなこと、価格設定から自転車好きを増やしたいという心意気がそれぞれ伝わってきた。
ご主人に自転車を診ていただいた後は、信じられないくらい漕ぎやすくなった。
もしかしたら、かなり前からリムが歪んでいたのかもしれない。
改めて自転車の楽しさを知り、この日は時間の許すまで前進した。
伊予三島の某ホテル
ここからは伊予三島にある某ホテルの悪口が始まるので、苦手な人はスルー推奨。
まず入口に「アルバイト募集!」と大きな広告を貼っていたところから、若干の違和感を覚えた。
駐輪場がなかったので、フロントに自転車をどこに停めたらいいか尋ね、言われた場所に自転車を運んでみると、真横にゴミ置き場が。
この時点で「あれ?」となった。
フロントに戻ると、若い男性がタメ口交じりのたどたどしい口調で接客してくれた。
と言っても、高級ホテルではないので、そこまでは我慢すべきだ。
明らかに問題だと思ったのは、部屋に入ってから。
手を洗おうとユニットバスの扉を開くと、既に洗面台が水浸しだったのだ。
水漏れなどのトラブルではない。ただ、蛇口の締めが緩かっただけ。
そのときに確信した、テキトーなホテルだと。
それ以外も気になるところは多々あった。
何故かコンセントが埋め尽くされていた上に、タコ足配線にタコ足配線を重ねるという危険な結線がされていたこと。
暗いと感じるレベルまで抑えられた照明。
朝食付きプランなのに、ドリンクの機械が故障していて飲めなかったこと。
などなど。
書き出したらキリがないので、この辺で。お目汚し失礼。
2019/01/08【二度目の香川編PART1】ロマン溢れる、日本最古の芝居小屋の話
この日は丸亀市まで行くことになっていた。
そう、ついに香川入りだ。
銭形砂絵
香川入りして、最初に立ち寄ったのは銭形砂絵。
琴弾公園の横にある地上絵のようなもの。
「寛永通宝」と描かれている。観音寺市一番の観光スポットで、聞くところによると一晩で造られたものらしい。
雨風によって形が崩れた際は、地元ボランティアによって修復されるとのこと。
写真は、正面にある象ヶ鼻岩銭形展望台から撮影。
第68番札所・神恵院、第69番札所・観音寺
象ヶ鼻岩銭形展望台のすぐ近くに、この二件の寺院は存在する。
正確には、同一境内の中にあるのだ。
ちなみに、観音寺は『結城友奈は勇者である』通称・ゆゆゆというアニメの聖地(?)らしい。
銭形砂絵の横にあるお土産屋さんでは、こんな光景が見られた。
それから丸亀に着くまでのことは正直よく覚えていない。
途中で山を一つ越えたような気もするが、覚えていないということは大した山ではなかったのだと思う。
ただ、旅のゴールが近付いて気持ちが早っていたのは確かだ。
旧金毘羅大芝居「金丸座」
丸亀に着いたのが15時頃。僕は急いで電車に乗り琴平駅へ向かった。
電車に乗った理由は今までと同じだ。
琴平へ行ったのは、こんぴら山が目的ではなかった。
もう少し早く着いて時間があれば、そちらも観光したかもしれないが。
琴平の観光スポットのうち、僕の中で最も優先度が高かったのは旧金毘羅大芝居だ。
内子座と同じように重要文化財に指定されている芝居小屋の一つで、天保の時代に建てられた現存する最古の芝居小屋なのだそう。
こちらもまだまだ現役で公演を行っている。
そして、公演外の期間は一般に公開されているのだ。
ちなみに、こちらが内子座について書いた記事。
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どちらも歌舞伎を行う小屋なので、全体的な造りは似ている。
ただ、内子座では記事で使えるような写真をあまり撮れなかったので、今回は入念に調べてきた。
希望すれば案内を聞くことができるのだが、入口から早速オモシロい話を聞くことができた。
というのも、入口は三つあるのだが、それぞれ身分によって入口がわかれていたというのだ。
ただし、端の二つは同じ造りで、設置位置で上下関係を表している。
三つの入口のうち大きく違うのは真ん中の扉。こちらは庶民の入口だったという。
身分の高い客が使う上手(右手)の扉とお金持ちの客が使う下手(左手)の扉より、わざと低く造られているのだ。
今でいう下駄箱。
時代がもう少し進むと、箱で管理するようになり「下駄箱」と呼ばれるようになるのだ。
内子座より少し派手な雰囲気。
舞台裏には「奈落」に続く階段がある。ようは舞台の地下だ。
旧金毘羅大芝居にも回り舞台の仕組みはある。
というか、歴史的には内子座より先輩になる。
回転板に繋がる棒を人力で回すシステムは一緒だが、こちらの回転板と床板の間に噛ませて回転させやすくする「回転ゴマ」と呼ばれる技術は機械遺産に認定されている。
最後に二階席からのアングル。
歌舞伎に興味のない方でも、歴史や技術のロマンを感じられる場所なので、ぜひ足を運んでほしい。
2019/01/09【二度目の香川編PART2】四国一周、最終日の話
丸亀から高松までは30キロもない。
自転車で1時間半も漕げば到着する距離だ。
そして、高松というのは、この四国一周旅行のゴールでもあった。
僕は前日の夜、ネカフェに滞在しているときから、この日を旅の最終日にする気で満々だった。
高松にも観光スポットは沢山あるが、観光したいところは一箇所しかなかった。
その一箇所だけなら、この日中に神戸に帰ることが可能だった。
たぶん気が早っていたのだと思う。
もちろん自転車に乗っているときは安全運転を心掛けたが、丸亀に着いた辺りから「早くゴールしたい」とそればかり考えていた。
高松に着いたのは朝9時のことだ。
これで一応は四国を一周したということになる。
だが、不思議と達成感というのは無かった。
たぶん、一度でも輪行に頼ったという背徳感と、後半になるにつれておざなりになった四国遍路への罪悪感からだ。
ゴール時の総走行距離は約970キロ。
もしも、輪行せず四国を一周したら1200キロほどになっていた計算だ。
そう考えると、結構がっつり輪行していたことになる。「……勿体ないことをしたような、でも仕方なかったような」そんな複雑な気持ちになったのを覚えている。
ちなみに、輪行したときの話は下の記事に書いてある。
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男木島
高松に到着すると、すぐに港に向かった。
神戸に戻るためではない。先ほど書いた観光地に行くためだ。
高松港からフェリーに乗ること40分。着いたのは男木島だ。
猫島として有名で、瀬戸内国際芸術祭の開催地の一つにもなっている。
港から目に入る芸術祭の作品。
八つの言語が表現されている屋根は建物全体を芸術作品として仕上げている。
中では、フェリーのチケット等が販売されていた。
観光窓口もここのようだ。
さすが猫島。早速、歓迎を受けた。かなり人懐っこい。
この猫たちとは後でまた再会することになる。
島を探索しようと、とりあえず入口のような雰囲気を放っている鳥居まで来た。
ゆるやかな坂になっており、振り返るとこんな景色が。
地元の方とは全くすれ違わなかったが、猫とは何回かすれ違った。
中には警戒心の強い猫もいたが、この猫はすたすたと真横を通り過ぎていった。
男木島は島全体が芸術祭の舞台になっているので、至るところで作品を見ることができる。
以下3枚の写真は壁画プロジェクトの作品だ。
市の観光ホームページを見ればわかるが、壁画以外にも作品はたくさんある。
しかし、建物の中に製作された作品が多く、僕が訪れたときは残念ながら冬季休業中とのことで見ることができなかった。
とはいえ、僕はそのことをホームページで確認し承知の上で訪れていた。
猫が多いことも芸術作品を見られることも大きな魅力だが、なにより島の雰囲気に惹かれたのだ。
生活と斜面が共存している光景は美しい。
そこに見渡す限りの青い海や可愛い猫、芸術作品たちがアクセントを加えているのだ。
僕は、あくまで男木島の魅力は男木島そのものだと感じた。
港に帰ってくると、つがい(?)の猫が。
片方は出迎えてくれた猫だった。
猫というのは本当にわからない。
出迎えてくれたほうの猫が、もう一匹がエサを食べているところを邪魔し喧嘩が始まった。(エサは地元の方が与えているもの)
僕は巻き込まれまいと、離れたところから観察していたのだが、喧嘩が一段落つくと吹っ掛けたほうの猫がこちらに歩いてきた。
そして、僕の前で背中を向け、
「ついてこい」と言わんばかりに、また歩き始めた。
案内されたのは何故か男子トイレ。
おもむろに水を飲み始める猫。
実は、トイレの前にも猫用の水入れが置いてあった。この猫もそれは知っている様子だった。
僕はあえてトイレの水を飲むところを見せてくれたのだと、都合よく解釈することにした。
なぜか出迎えてくれたとき一緒にいた猫までトイレに入ってきた。
すると、談合が始まり、2~3分トイレから出られなかった。
2匹はとても仲良しのようで、互いにグルーミングしあったりしていた。
こうしてカメラを向けても嫌がるどころか、時折すり寄ってきたりしてくれた。
本当のことを言えば、ネットに転がっている男木島の写真のように沢山の猫と出会ったわけではなかった。せいぜい5匹くらい。
それは冬だったせいかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
ただ、この猫たちのような接客のプロと出会える場所は他には少ないと思う。
実際、僕は骨抜きにされてしまった。
高松からフェリー1本で訪れることができるので、癒されたい方は訪れるといいかもしれない。
閑話休題。
それからはネカフェで適当に時間を潰した。
フェリーは18時の便と24時の便を選べたが、どちらにせよ朝の電車に乗って地元まで帰る予定だったので、後者を選び、寝ている間に運んでもらうことにした。
5時間の船旅を経て神戸に着くと、輪行の準備を始めた。
あくまで旅の目的は四国一周だったので、今度は背徳感も罪悪感もなかった。
少し手馴れて、30分もかからずに輪行の準備が整った。
それから最寄り駅までは一瞬だった。
電車に乗れば、数十キロなんて距離も容易く移動できてしまう。
だとしたら、わざわざ自転車に乗って約1000キロも移動した意味はあったのだろうか。
電車や自動車なら一日二日あれば移動できる距離だ。
一瞬、そんなことが頭をよぎった。
でも、今なら断言できる。意味はあったと言い切れる。
自転車だからこそ感じたこと、知れたこと、見えたものが沢山あった。
ただし、それらの経験をどう活かすかは旅をした本人次第だ。
更に言えば、経験なんて曖昧なものは形にしなければ風化していく一方だろう。
だから、手始めに今回のことをブログに記した。
ところで、僕は最初の記事で「百聞は一見如かず」という言葉を使った。
ブログの趣旨と反しているようだが、これは的を射ていて、四国の良さ・自転車旅行の魅力なんて実際に体験してみないと分からないものだ。
ネットで観光地について調べたとき抱いたイメージと実際に訪れたときの印象が全く違うなんて、数えきれないほどあった。
それに、ブログやネットが伝える情報は、どうしても書いた人の過去の経験に偏ってしまう。
風化にさらされていない鮮度の高い経験を知ることはネットでは不可能だ。
そういう、その場その時でしかできない世界のただ一つの経験を求めるのならば、今すぐ旅に出るべきだ。
あわよくば、四国に行って、その魅力に触れてほしい。
(終)
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2019/01/05【愛媛編PART5】松山をぐるりと沢山観光した話
坂の上の雲ミュージアム
この日は松山を観光した。
その名の通り、司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』に関する資料が展示されている。
建物が現代的な建築であることも見どころの一つで、写真の階段は支柱を省いた空中階段として有名。
これは当時『坂の上の雲』が掲載されていた新聞のコラムの切り抜きを集め壁にしたもの。
残念ながら、それ以外は写真撮影が禁止だった。
展示の内容は作品の時代背景や、三人の主人公(正岡子規・秋山真之・秋山好古)の関係性、小説の名セリフなど、多岐に渡っている。
作品を知っていない人でも、興味をそそられるようなインパクトある展示が多かったので、松山に行った際は是非。
萬翠荘
次は同じ敷地内にある萬翠荘へ。
大正ロマン溢れる洋館で、明治にはこの地にあった建物に夏目漱石が下宿していたそう。
昭和には、昭和天皇もお泊りになったということらしい。
惜しいことに、改修工事を行っている最中で建物の全容を撮ることができなかった。
入口からして、既に美で満ちている。
これは部屋の様子。部屋ごとにデザインが違うのは当然かもしれないが、よく見ると暖炉も部屋によってデザインが違っていて、特注であることがわかる。
大街道(えひめ愛顔の観光物産館)
以上の2件を回った後は大街道を通るルートで松山市駅へと向かった。
下は現在と昔の比較。詳しくは前回の記事参照。
大街道に来たのは、えひめ愛顔の観光物産館に行きたかったからだ。
このお店では、蛇口から出るミカンジュースを楽しむことができる。それが目的だった。
子どもに混じって、蛇口から出るジュースに興奮するのは恥ずかしかったが、かなり面白い経験になった。
このときは動画を回していたので実際の写真はない。ただ、ホームページからどういうサービスなのかわかるので、リンクを載せておく。
坊ちゃん列車
先ほども言ったように、大街道を進むと松山市駅に到着する。
松山駅前には、道後温泉と肩を並べる超有名観光スポットがある。
それが坊っちゃん列車だ。
夏目漱石の小説『坊っちゃん』にて「マッチ箱のような汽車」として紹介され、主人公が実際に乗ったことから、この名が付いたという。
ここからは自転車と荷物を預け、徒歩観光だ。
乗り場で待っていると、坊っちゃん列車はやってきた。
どうやって方向転換するのかと見ていると、当時の軍服のような黒い制服を身にまとった車掌さん達が降りてきて運転室と客室(1両しかない)を切り離し、運転室の向きを180度回転させた。どうやら下に回転盤が付いているようだった。
客室は前後に連結部があるようで回転することはなかった。そのあとは順番に線路を切り替えドッキング、バックするようにこちらに向かってきた。
ちなみに、ここまで全て人力。
1車両、車内は20人ほど入るのがやっとという狭さ。
チケットは大人800円と運行距離にしては高めだが、松山市駅横にある観覧車の乗車券にもなっているようだ。
そして出発。
座席に伝わる振動こそ配慮されているが、車内にはけたたましい音が響き渡った。
運行中はスタッフの方が先ほど書いたような坊っちゃん列車にまつわるエピソードを話してくれた。
上りの坊っちゃん列車とすれ違い様に鳴らす汽笛の演出も粋だ。
乗ること20分。
終点の道後温泉駅に到着すると、もう一度切り離し・反転作業を見ることができる。
道後商店街(つぼや菓子舗)
そういうわけで、僕はまた道後にやってきた。
ただ、道後温泉に入るのはまだ後と決めていた。
道後温泉駅前にある商店街の中に進み、入ったのはつぼや菓子舗。
『坊っちゃん』に登場する団子屋のモデルになったお店で、坊っちゃん団子という商品をいただくことができる。
団子=餅という先入観があったのだが、ここの団子は餡を売りにした団子だった。
であるにもかかわらず、甘すぎず、かといって味が薄いわけでもない。
一言で言えば、非常に上品な甘さがある団子だ。
もちろん、抹茶もおいしかった。
第51番札所・石手寺
そのあとは少し歩いて、石手寺に向かった。
一枚目だけを見れば、ごく普通の寺院に見える。しかし、本当に度肝を抜かれたのだが、石手寺には摩訶不思議な世界が広がっていた。
少なくても、他の寺院には二枚目以降のような光景は見られなかった。
この表現が正しいかはわからないが、すごく個性的だと思う。
極めつけに現れる、地底マントラと呼ばれる洞窟。
参拝者は中を進むと、うす暗い中で地蔵や仏様と見えることができる。
一般的なトンネルのように一定間隔でライトがあるので安心。
この出入口は石手寺の外にあるのだが、先は石手寺の中に繋がっている。
他の方が言っていたのだが、奇妙なトンネルを抜けると奇妙な光景が広がっているなんて、まるで『千と千尋の神隠し』の世界だ。
子規記念博物館
このあとは道後のほうまで戻り、子規記念博物館に立ち寄った。
文字通り、正岡子規についての博物館だ。
恥ずかしながら、僕は今まで「正岡子規」というのは本名だと思っていたのだが、実は違うらしい。
「升(のぼる)」という名前だったのを改名したという。「子規」というのは元々ホトトギスの意で、正岡子規は結核による吐血を経験したのち、口が真っ赤なホトトギスになぞらえて名を改めたのだ。
ちなみに、以下は子規と夏目漱石が同居していたという愚陀仏庵の再現。
愚陀仏庵は本来、萬翠荘の横に建設されていたが、現在は土砂崩れによって倒壊してしまっているので、興味のある方はこちらをオススメする。
ぎやまんガラス美術館
道後商店街を抜けると、ぎやまんガラス美術館がある。
カフェや結婚式場と併設されている美術館で、入口からしてかなりおしゃれだ。
展示室はカフェの地下にあるため、受付はカフェで済ますことになっている。
肝心の展示内容はというと、様々な技術・時代背景のガラス。それをオシャレなライトアップとともに見ることができる。
道後温泉
この日だけで10近くの観光地を駆け足で回っているが、その最後に寄ったのは道後温泉だった。
神の湯・霊の湯の二種がそれぞれ2フロアにわかれており、浴場によって値段は変わってくる。
せっかく来たのだから最上級のところを選ぼうと思ったが、あいにく最も一般的な神の湯(階下)以外は満員で入浴することができなかった。
そのため、神の湯(階下)の感想になるが、良くも悪くも"昔の温泉"だった。
大浴場だが観光客が次々と入ってくるので、とにかく窮屈なのだ。歴史を感じるために入るのであれば十分すぎるが、温泉としての利用なら他の浴場をお勧めする。
2019/01/06【愛媛編PART6】遺跡の島とタオルの話
朝の7時頃、まだ辺りが真っ暗なうちから出発した。
松山から今治までは苦労する道もなく、自動車の少ない時間帯だということもあってスムーズに進むことができ、9時前には今治駅に着いた。
とはいえ、約45キロもノンストップで走り続けたので、さすがに疲れていた。
駅前で休憩を取っていると、またまたまたまた、おじさんが話しかけてきた。
もうこのケースは何度も経験しているので、コミュ障の僕と言えど、普通に盛り上がることができた。
おじさんの話によると、今治には小島という、船で行く観光スポットがあるという。
出航時間を調べると、ちょうど次の便に間に合う時間だったので、僕はすぐさま港に向かうことにした。
小島
小島へはこの小さな船に乗っていくらしい。
香川に来るときは船の乗り方さえイマイチわからなかったが、もう慣れたものだった。港にはしゃいでいた自分が嘘のようだ。
ちなみに、この船に乗ると来島海峡大橋を横から撮影できる。
10分ほど乗っていると、小島に到着。
僕以外の乗客はみな釣りに行くようだった。
いきなり出迎えてくれるのは砲台。
小島とは、日露戦争時代に築かれた芸予要塞がそのまま遺跡として残っている島なのだ。
とりあえず、船着き場にあった看板記載の観光ルートに沿って島を巡ることにした。
最初の遺跡は草木をかき分けると現れた。
階下の部分に入ると、中は空洞になっていた。
階段を上がってみた。
探照灯台として使われていたらしいが、どう使われていたのだろうか。
次は発電所跡。当然、現在は発電設備はなく、中はもぬけの殻だ。
島にいくつかある砲台跡の一つ。
砲座跡は円形に広がっていて、船着き場で見たような砲台が置けそうだった。……当たり前だが。
弾薬庫跡は全ての砲台から見て、程よい距離にあったのを覚えている。
二つ目の砲台跡。
先ほどよりも砲台を設置していたことがわかりやすかった。
このレンガ造りの建物は兵士たちの寮だったようだ。
将校たちの部屋は少し広く造られていた。
寮の横の階段を上っていくと、指令塔跡があった。
ここから見える景色は綺麗だ。
一通り見て回ると、船着き場に戻った。
可愛い先客が二匹。 耳カットがなかったので完全なノラだと思うが、すごく人慣れした猫だった。
第55番札所・南光坊
小島から戻ると、再び今治駅を目指した。
その途中で立ち寄ったのは南光坊だ。
境内には川村驥山の筆塚がある。
僕はブログですら「ひぃひぃ」言いながら書いている状態なので、文才をあやかれるように参拝してきた。
タオル美術館
タオル美術館へ行くためだ。
旅の進行方向にあるため自転車で行っても良かったのだが、既に今治駅付近のホテルを予約しており、日没までに引き返すことができるか自信がなかった。
それに、タオル美術館は例の如く丘の上にある。残りの体力的に坂道は結局歩くことになるだろうとわかっていた。
だとしたら、自転車より電車のほうが利口だ。……という甘えだった。
最寄駅・伊予三芳駅からタオル美術館までは片道4キロほど歩かなくてはならない。
坂道はそのうち1キロほどだったが、朝から5~60キロ走って島一周している身には辛いものだった。
おまけに歩道はなく路側帯も狭い道路で、すれすれを走る自動車がストレスに拍車をかけた。
そうして現れたタオル美術館はまたしてもレンガ造りだった。
受付前には楽しい展示物が。
ちなみに、これから紹介するものはほぼ全てタオルで出来ている。
入場すると、まずタオルができるまでの製造過程を見ることができる。
機械の展示ではなく、実際に稼働しているのがポイント。
製造過程を学んだ後は常設のムーミン展が始まる。
オシャレなウォールアート。もちろんタオル。
実物大(?)の彼らは、照明が暗いせいで影が差していてちょっと怖かった。もちろんタオル。
一応補足しておくと、このムーミンハウスももちろんタオル。
人形の展示が終わると、明るい部屋に突入する。
これはタオルじゃない。
これはもちろんタオル。
この部屋は原作のシーンをタオルで再現した展示が多くなされている。
と、こういう感じだった。
実はこの後に企画展があるのだが、 そちらは撮影禁止ということで写真はない。
その都度の企画展の内容はホームページから参照できる。
帰りは日が落ちていたのでタクシーを拾った。
細い路側帯を歩いて、車に引っ掛けられでもしたら洒落にならない。……という言い訳だった。
例の如く、一時間に一本というダイヤの電車を待ち、今治駅に戻った頃にはすっかり夜になっていた。
ホテルポートサイド今治
この日の宿はこちら、ホテルポートサイド今治。
自転車に悪戯をされた日以降、極力ロビーに自転車を置かせてくれるところを探すようにしていた。
こちらのホテルは自転車を部屋に持ち込むこともできる。
言い換えれば、部屋がかなり広いということだ。
それでいて、値段は抑えめ&朝食に無料の軽食付き&遅めの11時チェックアウト。
しかも、接客がかなり良かった。
もちろん、接客なんて個の従業員次第だ。だから、あくまで僕の経験談だが、このときのフロントの方は顔を合わせるたび、深々と頭を下げてくれた。
それは深夜でも早朝でも変わらなかった。
サービス業で「お客様は神様」とはよく言うが、高額を支払っているならともかく、低価格で神様の地位を買えるホテルはここだけだろう。
少なくても僕の知っているホテルの中では。
(続く)
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2019/01/03【愛媛編PART3】ある町にデトックスされた話
宇和島から次の目的地・八幡浜の間にある山はかなり厳しかったが、同時に憎めない道でもあった。
いや、道自体は勾配が徐々にきつくなっていくという嫌らしさがあるのだが、景色が綺麗すぎたのだ。
この日は日差しもキツく、汗だくになりながらヘロヘロと山道を上がっていくと、ぽつんとミカンの試食コーナーがあった。
最初から買う気がないのに試食するのは気が引けたが、売店の方に勧めてもらったので一ついただくことにした。
ホテルでジュースを飲んだときも思ったが、愛媛のミカンは甘いとか酸っぱいとか極端な味ではなく、甘さはもちろん酸っぱさも苦さも内包している、すごく豊かな味がした。
愛媛県歴史文化博物館
道中の卯之町というところには愛媛県歴史文化博物館があるというので立ち寄ることにした。
原始・古代から現代に至るまでの愛媛の歴史や文化を知ることができ、当時の暮らしを原寸大で再現した模型は人気がある。
相変わらず丘の上にあるようで、「いい加減にしてくれ。観光の度に何かしら登ってる気がするぞ」なんて思いながら頂上を目指した。
とにかく暑かったのを覚えている。
日差しが悪さをして写真もうまく取れなかったが、入口からオシャレだった。
原始・古代の暮らし。
中世頃の船はまだ人力。
幕末の松山城下町。
近世の暮らし。
そして、愛媛県の誕生。
歴史的文化的な価値はもちろんだが、美術的な価値も非常に高い展示ばかりだったので、写真が好きな方は行ってみるといいかもしれない。
ここから八幡浜へ向かうには、しばらく平地を走ったのち、また少し山を登って、そのあとはひたすら下り道というルートになる。
その道中でマンモスと二度目のSLに出会った。
内子町
そして、目的の八幡浜に着くと、僕はすぐさま電車に乗った。
内子町というところに行くためだった。電車に乗ったのは、後でまた八幡浜に戻ってくるからだ。
僕がどうしても内子に行きたかったのは、内子に現存する明治の町並みに惹かれたのはもちろんだが、この場所にある内子座に行きたかったからだ。
内子座
大正時代から100年以上も続く現存する芝居小屋の一つで、重要文化財にも指定されている。
公演外の期間は一般に公開され、中を見ることができる。
伝統ある芝居小屋と言えば、松の木。
板に描かれている場合は鏡板というのは知っているが、舞台幕に描かている場合は何というのかはわからない。
人力の回り舞台。
真下には棒が伸びていて、それを何人かの男衆で回したそう。
ちなみに、現在ここで公演する際も人力だそう。
一般に、この地下のことを奈落という。現在でこそ、人が歩けるように整備されているが、昔は地下水の水位が高く簡易的なものだったらしい。
水に濡れながら回していたのだろうか……。
客席。
昔は一つの枠に5、6人ほど詰めて座っていたそう。現在は多くて4人だとか。
全体絵。
中央階下の席以外は基本的にお金持ちが座るのだが、中でも上手席(右手側の席)は身分の高い方が座ったそう。
内子の町並み
内子座から20分ほど歩くと、町並み保存地区に突入する。
江戸~明治の建物が現存しており、タイムスリップしたような感覚を味わえる。
中には、当時の暮らしを再現した観光客向けの建物もあり、自由に入ることができる。
また、内子はロウソクが有名な町でもあり、時期が時期なら夜にロウソクのライトアップも見れるのだが、残念ながらこのときはシーズンではなかった。
いつも「タイムスリップしたかのような感覚」なんて売り文句の観光地に訪れると、実物はそうでもなくて「嘘くさい」と感じてしまうのだが、内子町は本当だった。
あるいは、時間が止まったかのような感覚に近いかもしれない。
内子という町から発せられる雰囲気がそう感じさせたのだと思う。
別に農村部というわけでもないのに、全体的にかなり静か。でも、人と人との交流も見られるので不思議と冷たいという印象はなく、ただ歩いているだけで心がデトックスされる町だった。
もし、移住するなら、こういう町に住みたいと切に思う。
スーパーホテル八幡浜
実はというと、正月三が日は少し贅沢をしようとホテルに泊まっていた。
料金は素泊まり6500円弱と、今までの宿と比べると一番高いのだが――それでもビジネスホテルとしては十分安い――、宿泊を決めたのは朝食バイキングと天然温泉が無料で付いてくるからだった。
朝食代と温泉代を差し引いても、旅の身分にしては贅沢な宿だったかもしれない。
でも、正月に泊めてもらえるだけ有難いし、何より朝にお腹いっぱい食べるということが久しぶりで嬉しく、非常に満足度の高いホテルだった。
2019/01/04【愛媛編PART4】夏目漱石ゆかりの地の話
この日は一気に松山市まで行くことに決めた。
八幡浜から松山までは基本的に海岸沿いを走っていくだけなのだが、海岸に行くまでに山を一つ越えなくてはならない。
ただトンネルが開通しているので、多少は上り坂になるものの、今までの経験と比べら随分楽な勾配だ。
最初に現れ、そして、この旅一番の長さを誇る隧道の名は瞽女トンネル。
全長は2キロ。最初の1キロ弱は軽い上り坂になっており、峠は入口からの明かりが届かない分、かなり暗くなっている。それが若干の怖さを伴っている。
ただ、歩道が広く整備されているので、安心して走ることができた。
冷やっとしたのは次だ。
瞽女トンネルを抜けると、すぐに500メートルほどのトンネルが始まる。
ここは歩道が整備されているものの、瞽女トンネルとは違い自転車一台分の幅しかない。その上、洞内は明かりが最小限しかなく、自転車のライトのみが光源だと言っても差し支えない。
瞽女トンネル後半から下り坂になっているため、そこそこのスピードが出る。
僕も歩道を進んでいたため、車との接触はないだろうと安心していた。
ところが、その矢先。何かに乗り上げ、バランスを崩した。
歩道は狭い。真横は車がバンバン通っていた。
もし転倒したら死ぬと思って、死ぬ気で体勢を立て直した。
3日目は精神的に「死」を感じたが、このときはもっと即時的な「死」を感じた。
何とかトンネルを抜けると、上がった心拍数を落ち着けるため、休憩を取った。
すると、またまたまた、一人のおじさんが話しかけてきた。
おじさんは僕がこれから行く方面を尋ね、「ずっと道なりで走りやすいけど、伊予の前にまた峠がある」と教えてくれた。
わざわざそのために声をかけてくれたのだ。ありがたい。
おじさんが教えてくれた通り、夕やけこやけラインと呼ばれる道路は大変走りやすかった。おそらく旅一番。
そのためか、サイクリングしている方と沢山すれ違った。そのたびにアイコンタクトで挨拶を交わす。
遅ればせながら、これがサイクリングの魅力なのかもしれないと気付いた。
快晴だったこともあり、横に広がる一面の海がまた最高だった。遠くの方にうっすらと見える山口(?)。
夕陽の町・双海
しばらくすると、道の駅ふたみに到着。
海水浴場が横手に広がっているので、かなりわかりやすい。
双海町は日本の夕陽百選に選ばれるほど夕陽が有名な町だそう。
そして、夕陽が最も美しく見えるスポットがこの道の駅だということだ。
たしかに、夕方に訪れてみたい場所だった。
この三体のモアイ像は、向かって右から夏至・春分/秋分・冬至の日没の方向を向いているらしい。面白い。
ちなみに、恋人の聖地としても有名。
もう四国で何度「恋人の聖地」という文字を見たことだろうか。
クリスマスは過ぎていたため、たぶんノーダメージ。
ここから松山駅までは25キロ弱しかない。
しっかり休憩を取ったあとは一気に市内を目指した。
先ほどのおじさんが言っていた、伊予の前の峠は確かに体力の削られる勾配だったが、幸い短かったので気合で乗り越えた。
ネストホテル松山
松山市に到着すると、まだ夕暮れ時だったが、僕は予約していたネストホテル松山に向かった。
チェックインを済ませると、すぐに荷物と自転車を預け、再びホテルを後にした。
スポーツバイク専用のスタンドをロビーに置いてくれるので、いつぞやのように悪戯される心配もない。
放生園(坊っちゃんカラクリ時計)
自転車を預けたのは完全に気まぐれだった。
松山の様子を見ていると、じっくり歩いて散策したくなったのだ。
ただぶらぶらするだけではなく、一応の目的地は考えていた。
道後にある放生園だ。
道後温泉駅の目の前にあり、道後の入口ともいえるスポットだ。
道後温泉から供給される足場が楽しめることで有名。
このときの目的はあくまで放生園であって、道後温泉ではなかった。
この日はホテルのシャワーを使えばよかったし、松山の名所は翌日まとめて観光する予定だったので、このときはスルーしたのだ。
こうして二度手間とも思える動きをしたのは、道後の夜を見ておきたかったから。
放生園の夜はガス灯にライトアップされるのだが、もう一つの名物・坊ちゃんカラクリ時計もまたライトアップされるというので見ておきたかったのだ。
一時間に一度、カラクリが動き出し、松山が舞台となった夏目漱石の『坊っちゃん』に登場する人物たちが中から姿を現す。
僕のように写真を撮る観光客は大勢いて、彼らを避けながらの撮影だったので変な角度から撮っているのは申し訳ない。
そして、放生園の様子。
なかなか雰囲気があった。
足湯はあまりに人で溢れかえっていたので撮れなかったが、浴衣を着た人達が利用していた。
どうやら近くの道後グランドホテル等で浴衣のレンタルも行っているらしい。
まだまだ寒いのによくやるものだ。
(続く)
旅も自転車もド素人なのに四国一周した話(9)
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2019/01/01【愛媛編PART1】はじめて輪行した話
年明けは意外とあっさりしていた。
昨日の一件で高知駅前に滞在するのは抵抗があったので、夜は高知市の外れにあるネカフェを利用した。
今思えば、年越しがネカフェなんて本当にくすんだ人生だと思うのだが、このときは完全に「住めば都」精神だった。住んではいなかったけれど。
居場所があるだけでありがたい。
それに、ネカフェは存外快適だ。
想像に易いと思うが、この日は利用客が極端に少なかった。
これまでネカフェを利用する夜はどこからともなく聴こえてくるイビキに悩まされたせいで、ネカフェに対する印象も良くなかったが、改めて考えるとサービス内容に関しては文句の付けようがない。
男が横になってくつろげるスペース、パソコン(テレビ&映像作品見放題)、快適回線、漫画&雑誌、ソフト&ホットドリンク、アイスクリーム、店によっては朝食セルフ食べ放題。
確かに清潔感に関しては難ありの店もあるが、これだけのサービスを一晩2000円少々で受けられるのだから、そこに文句を付けるのはクレームと同義だとすら思える。
話を戻して。
この日は誰かの寝息のようなものは聞こえてきたが、 ネカフェ史上最高に静かな夜だった。
だから、時間を忘れて漫画を読みふけっていた。
で、気付いた頃には年が明けていた。
締まらないが、僕はこうしてネカフェから2019年をスタートさせた。
このネカフェは朝倉駅の真横にある。
元旦の朝、僕はこの駅の前で輪行の準備に取り組んでいた。
輪行とは、公共交通機関に乗るためにスポーツサイクルを解体して袋に収納することである。
僕は輪行して、朝倉駅から宇和島駅までショートカットすることを考えた。
具体的には、高知市より南を全て省き愛媛入りするという流れだ。
理由はいくつかある。
・タイヤ切り裂き事件から、高知に留まっていることに不安を覚えたこと
・正月を都市部で過ごしたかったため(高知市から南下した場合、もしまた予想外のトラブルに遭遇したら、正月ということもあって次は対処できるかわからなかった)
・徳島に戻る高速バス代、そして修理費用、そういった予想外の出費がかさんだため
つまり、完全に切り裂きジャックのせいだ。
徳島に戻ったのは僕がオタクだったせいだけれど。
というわけで、僕は初めての輪行に挑むことになった。
ネカフェにいる間にYouTubeで勉強していたので、40分くらいかかったが、特に迷うことなく輪行することができた。
ただ、厄介なのはそこからだ。
数十キロある荷物に自転車がプラスされるのだ。
バラしてコンパクトになっているとは言え、腐っても自転車。
重たいのは重たいし、当然かさばる。
僕の見た目は完全に不審者だった。
背中に大きなリュックサック、腰にはウエストバッグ、右肩には輪行袋、左手には今まで両手に分けて持っていた全ての荷物。
そんな装備の男がフラフラと駅に迷い込んでいく。
かろうじて救いだったのは、乗客が少なかったことだ。
大阪の電車にこの装備で乗れば最後、降りるその時まで周囲の人は眉をひそめ迷惑そうな視線を向けてくるだろう。
いや、乗客の多い少ないは関係のない話だったかもしれない。
人柄、そして土地柄なのかもしれない。
そう思ったのは、電車に乗ったときだ。
当たり前だが、輪行する際は邪魔にならないスペースに乗るのがマナー。
僕が乗ったのはワンマン列車だったので、運転手席の横にくぼみのようなスペースがあった。
残念ながら、そこには先客のイマドキ女子が立っていたのだが、彼女は僕を見るなりスペースを譲ってくれたのだ。
本当に助かった。
やっぱり切り裂きジャックみたいな一部の人間が目立つだけで、良い人は本当にたくさんいる。
乗車駅の朝倉から目的地の宇和島までは一度乗り換えを挟む。
乗り換えには1時間以上も余裕があったので、僕は焦ることなく、生まれたての小鹿のような足取りで次のホームを目指した。
かっぱうようよ号
僕の目の前に現れたのは通称・かっぱうようよ号。
名前の通り、河童がたくさんいる列車だ。
何を言っているかわからないと思うが、とりあえず写真を見てほしい。
何度見ても河童しかいないのだ。ホビートレインというらしい。
乗り換えの待ち時間を含めると、合計で5時間ほど移動にかかった。
目的の宇和島駅に着いた頃には16時頃だったと思う。
駅前で自転車を組み立てていると、一人のおじさんが声をかけてきた。
どんなところを巡ってきたのかなど、世間話をいくつか交わしていると、おじさんは「お礼だ」と言って、一杯のコーヒーをご馳走してくれた。
高知で酷い目に遭ったばかりだったので、最高に嬉しかった。
宇和島オリエンタルホテル
自転車を組み立て終えた頃には日が傾きかけていた。
移動したり観光するには遅すぎる時間だったので、この日の宿・宇和島オリエンタルホテルへと向かった。
サイクリストを応援しているホテルで、温かい歓迎、複数の入浴剤、フリードリンクなどが備えられている。
フリードリンクには、愛媛産のミカンを使ったオレンジジュースもあった。
本場のオレンジジュースは少し苦味があって、奥行きが楽しい味だったことを覚えている。
2019/01/02【愛媛編PART2】年に5回しか開催されない闘牛大会に行った話
この日は丸一日、観光に充てた。
もちろん、宇和島到着当初はそのつもりはなかった。
振り返ると、時間もお金も結構使っていたし、だからこそ輪行したという部分も否めなかった。
輪行という「ずる」をする代わりに、翌日からは寄り道せずにどんどん前に進もうと思っていた。
……のだが、1月2日が年に5回しか開催されない闘牛大会の日となれば、話は別だ。
そのことを知ったのはオリエンタルホテルのフロントにあった張り紙だ。
闘牛の開始時刻は12時、終了時刻は14時と微妙なスケジュールだったので、思い切って一日観光に充てることにしたのだ。
形だけでも初詣をしておきたかったし、ちょうど良かった。
それに、寄れるなら寄っておきたいというスポットもあった。
和霊神社・和霊公園
最初に訪れたのは和霊神社。
この石造りの大鳥居は日本一の大きさらしい。
また一日出費がかさむのだからと、出店の匂いを我慢しつつの初詣となった。
せっかくなので、おみくじも引いてきたが、結果は「吉」と可もなく不可もなくという運勢。
ただ、生憎と僕は普通であることが一番幸せだと思う人間なので、僕的には大吉の価値があった。
とても広い公園で遊具も豊富なので、参拝帰りの子どもたちが元気に駆けまわっていた。
そして、この公園には異様な存在感を放つものが一つ。
SL、蒸気機関車だ。
ちなみに、運転室に入ることもできる。
僕は鉄道の類は全く興味がないのだが、スチームパンクは好きなので興奮しっぱなしだった。
宇和島市営闘牛場
そのあとは山頂に闘牛場があるという小山に向かった。
「なぜ四国の名所は全て高い場所にあるのだろうか、猫でもあるまいし」なんて他愛もないことを考えながら――そうしていないと辟易してしまうからなのだが――、山頂に辿り着いた。
宇和島市営闘牛場だ。
程よい場所に駐輪すると、またしても一人のおじさんが話しかけてきた。
僕より何回りも人生の先輩のはずだが、ものすごく腰が低い方でロードバイクに興味があるようだった。
初心者なりにロードバイクのことを教えてあげると、おじさんは満足したように去っていった。
昨日のおじさんもそうだが、愛媛の人はただ優しいだけじゃなくフレンドリーだと実感した。
そして、受付を済ませたのが11時半。
全席自由席とのことだったので早めに着いたが、意外と余裕があった。
円形競技場は漫画で見るようなコロシアムそっくりだ。
牛さんの顔見せ。
マーキングだろうか、出てきた闘牛は土に顔をこすりつけるとまた控えに戻っていく。
その動作は可愛らしいのだが、どの闘牛も目が血走っていて、しかもラッパのような鳴き声を響かせるので、迫力が凄まじかった。
そして、試合開始。
宇和島の闘牛は闘牛VS人ではなく、闘牛VS闘牛だ。
各闘牛は相撲のように横綱から前頭まで位分けがされており、同位のものと戦うことになっている。
二頭が頭をぶつけたら試合開始で、どちらかが逃げ出すまで試合は続く。
基本的には数分以内に決着が着くのだが、中には20分弱こう着している組み合わせもあった。
とにかく観客席まで圧が飛んできそうな激しい試合が2時間続いた。
写真では伝わらないのが残念だ。
トレーナーの方ががっつり映っているので、あまり枚数は載せないが、こんな感じ。
天赦園
次に訪れたのは天赦園。
伊達政宗ゆかりの場所で、数々の緑に囲まれた庭園を散策できる。
ピークはとうに過ぎていたので優先度は高くなかったが、結果的に来てよかった。
季節関係なくメチャクチャ綺麗だ。
闘牛の熱とは打って変わり、穏やかなときを過ごすことができた。
(続く)
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2018/12/30【二度目の徳島編PART3】リベンジマッチを挑んだ話
徳島の朝焼け時はガス灯が点いていてエモい。
その中、数十キロある荷物を引きずるようにして徳島駅へ向かった。
『色づく』の最終回を観るという目的を達成したら、もう徳島に留まっている必要はない。高知に戻るのだ。
高速バスが来るまでの間、バスターミナルの待合室で暖を取ることにした。
日本で年越しする外国人は結構いるようで、居合わせた人の半分は外国人だったと思う。
彼らが大きなキャリーケースを引いていたおかげで、幾分僕の大きな荷物が目立たなかった。
乗車予定の便は朝一番。
深夜放送の『色づく』を観たあと、僕は寝坊が怖くて一睡もしていなかった。
そのせいで、バスに乗ったあとは一瞬で気を失った。
かずら橋
この日、僕が早朝から行動していたのは観光する時間を十分に確保するためだ。
そして、その観光地というのは大歩危駅の付近、言い換えれば辺境の地にある。
それが、かの有名なかずら橋だ。
ちなみに、ここは徳島の観光スポットだが、最寄りの大歩危駅へは高知からのほうがアクセスがいい。
僕は高知駅まで戻ると、その足で電車に乗った。
先ほども書いたように辺境の地にある観光地なので、自転車で行くという考えは毛頭なかった。
高知に帰る途中で立ち寄るという方法もあったが、荷物をコインロッカーに預けたかったので一度高知駅に戻ることにした。
山中を走る普通電車に乗ること2時間。
大歩危駅に着いた頃には昼になっていたと思う。
かずら橋へ行くには、そこからまた30分ほどバスに乗らなくてはならない。
ただ、車窓から見える景色が良かったので退屈はしなかった。
「かずら橋夢舞台」というバス停留所で降りると、驚いたことに雪が積もっていた。
それも結構な量。上を歩くと、ザクザクと音が鳴るレベル。
おそらく28日に降った雪が残っていたのだ。
このことが何を意味しているかというと……、とにかく寒い寒い。
少しでも体を温めたいと、せめてもの足掻きでスタスタ歩いた。
自分の白息が顔に当たるような早歩きで、家族連れの観光客を追い越していく。
やがて見えてきたのは、45メートルもある大きな橋と、かつての僕のように一歩一歩ぎこちなく歩く人々の姿。
ちなみにかつての僕はこちら。
ブラックコーヒーのような苦い思い出付き。
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言ってしまえば、今回はリベンジマッチでもあった。
こちらのかずら橋は高さも長さも前回の比ではない。
目の前にすると、その威厳を感じられた。
ただ、「意外と歩きやすそうだ」と思ったのも事実だ。
というか、実際に歩きやすかった。
なぜって、足場の間隔が狭く、足を踏み外したり物を落としたりするリスクが少ないのだ。
だから、リベンジマッチと意気込んでいたわりに、全く怖くなく、3分弱で渡り切ったと思う。
それも周りの観光客に配慮しながらのことなので、僕一人ならタイムアタックで6秒切れる。それは嘘。
鮮明に記憶に残っているのは橋云々というより、下を流れるエメラルドグリーンの祖谷川だ。
橋の上から川の底が見えるくらい不純物がないのだから、本当に綺麗な川だ。
ちなみに、祖谷の更に奥地には二重かずら橋と呼ばれる、より大きな橋があるのだが、そこへ行くバスは冬季は運営していないとのことで断念した。
大歩危峡観光遊覧船
大歩危駅~かずら橋間のバス運行本数は少ない。逆もまた然り。
次の便までは1時間以上待たなくてはいけなかった。
僕は時間を節約するため別の路線が合流する停留所まで1キロほど歩いて、そこから大歩危駅まで戻った。
時間を気にしていたのは、大歩危峡観光遊覧船に乗りたかったからだ。
大歩危峡を流れる川を船で下り、含礫片岩と呼ばれる天然記念物を間近に見ることができる。
レストランの中に受付があり、その脇の通路を下っていくと船乗り場が見えてきた。
救命胴衣を着用するよう言われ、準備が済むとひざ掛けを渡してくれた。
雪も解けない気温&川の上というシチュエーションだったので、とても助かった。
が、それでも耐えられないくらい寒かったので、禁断の上着二枚重ねに手を染めてしまった。
船から見える景色はこちら。
船頭さんから、二、三説明は入るのだが、基本的には静かに川を遊覧するだけ。
自由度が高いのはいいことだと思う。
他の観光客はキャーキャーしていたが、僕は黙々とシャッターを切っていた。
こちらが国指定天然記念物の含礫片岩。
ちなみに、大歩危全体はこんな感じ。
遊覧せずとも、この風景を見るためだけに訪れるのもアリだろう。壮大。
正直、遊覧の途中で雨が降ってきたせいで「とにかく寒かった」という思い出が強く、感想も上書きされてしまっている。
次訪れるときは夏にしようと思う。
濃い目の鳥のスープが食欲をかきたて、ごはんが進む料理だ。
ちなみに、ごはんは並で1合というボリューム。
2018/12/31【高知編PART4】最悪だった大晦日の話
大晦日、この日は朝から胸騒ぎがしていた。
というのも、僕は3日間も自転車に乗っていなかったのだ。
(※利用規約上、7日間までは自転車を置いていいことになっている。)
ここは無人無料で利用しやすい反面、自転車に何が起きても自己責任ということになっている。
そして昨夜、以前も利用した駐輪場のないネカフェに向かう途中、酒に酔って悪騒ぎする連中と何度かすれ違った。
それだけで治安が悪いとは言わないし、彼らも年の瀬で楽しくなっていただけだと思うが、安心できない街だと思ったのは確かだ。
だからというわけではないが、「自己責任」という言葉は夜を過ごすうちに自分の中でどんどん大きくなっていった。
とにかく僕は早朝の高知市を小走りで駆けた。
重たい荷物がスネに何度もぶつかったが、関係なかった。
駐輪場に到着。自転車の存在を確認。そっと胸を撫でおろした。
ところが、安堵したのも束の間。
違和感を感じたのは、自転車をレーンから引き出したときだ。
タイヤが上手く回らない。
ロックは外したし、積み込んだ荷物が引っかかっているという様子もなかった。
原因がわからず何となく下を見ると、後輪のタイヤが凹んでいた。
でも、預ける前は十分に空気が入っていたし、寒さでチューブがパンクするという話も聞いたことがない。
もしパンクだとしても空気が漏れている場所を探さなくてはならない。
タイヤを凝視すると、すぐに原因がわかった。
一箇所、中のチューブが見えるほど大きく裂かれていた。
もう絶望である。
ただのパンクなら、一度プロの修理を見ているし、自分で修理することができた。
でも、切り裂かれたとなると修理できる傷ではないし、そもそもタイヤから交換しなくてはならない。
しかも、このときは早朝の大晦日だ。完全にお手上げ。
息以上に頭が真っ白になってしまった。
カフェが営業している時間ではなかったし、とりあえず駅構内の休憩スペースに向かった。
不幸中の幸いというべきか、高知市にはそこそこの数の自転車屋がある。
ただ調べる限り、どこもホームページがなく、年末年始に営業しているかどうかがわからなかった。
常識的な時間になるまで待ってから、電話を掛けることにした。
両足をこすり合わせながら待つこと3時間半。
途中で構内のカフェが営業を始めたが、修理費が想像できなかったので、結局利用することはなかった。
1件目、繋がらなかった。2件目、3件目も。
それはそうだ、大晦日なのだから仕方ない。恨むべきはタイヤを裂いた切り裂きジャックだ。
「そもそも、なぜ僕だったのだ。
確かに3日間も放置した不用心は認めるが、それ自体は規約上問題のない行為だし、他にもルール違反はなかった。
もしかして理由はないのか?
年末の浮かれ気分でやったとか? ロードバイクに恨みがあった?
……理由がどうであれ、タイヤを切り裂けるようなナイフを持ち歩いている人がいる地域、ヤバすぎ。
そんな治安の悪い場所だとは思わなかった。もう高知には来ない」
そうやって考えても仕方のないことを考え、やり場のない憎悪を高知にぶつけた。
半ば諦め、正月三が日をネカフェで漫画を読みながら過ごすという廃人ルートを模索し始めていた。
「あの漫画の続き気になるなぁ」と思いながら、四件目に電話を掛けた。
繋がったときは、自分でも心底驚いた。
急に漫画のことなど、どうでもよくなった。
4件目の猫家サイクル 山本さんは事情を説明すると、修理を快く引き受けてくれた。
大晦日であるにもかかわらず、仏だ。
猫家サイクル 山本さんは、高知駅南口正面の幹線道路を真っすぐ1キロほど歩いて、鏡川を渡ったところにある。
問題があるのは後輪なので荷物を積むことができず、観光でもないのにコインロッカーに預けた。
そして、荷台を持ち上げるようにして車体を持ち、店へと向かった。
ご主人は「災難やったなぁ」と明るく迎えてくれた。
僕は大晦日に厄介事を持ち込んだ災難を謝罪、そして感謝しつつ、内心で仮想の切り裂きジャックをシバき回した。
修理はあっという間に終わった。やっぱりプロはすごい。
気になる費用は7000円。
うっかりしていて、手持ちでは足りなかった。
僕が「急いで近くのATMまで行ってきます」と言うと、ご主人は修理を終えたばかりの自転車を指して「乗ってったらいい。信用してるから」と言ってくれた。
基本的に地元の人はすごく親切で優しい。でも、一部の人間のせいで、地域全体が悪く見える。
いつだってどこだって、そうだ。現代じゃなくても高知じゃなくても。
……いや、僕がお金を払うのが当然みたいになっているが、そもそも泣き寝入りなんて絶対におかしい。
警察が動いてくれないのは論理的に考えてわかるし理解できる。
だったら、百歩譲ってタイヤを裂かれるのは我慢しよう。
その代わり、犯人は「タイヤ裂いたらスッキリしました。ありがとうございます」って一筆添えて修理費を置いていけ、マジで。
五台山公園
そんなこんなで始まった僕の大晦日。
最初に向かったのは五台山公園。
徳島の眉山同様に、市内を一望できる夜景が綺麗なスポットだ。
だが、夜に山を登るのは御免だったので、朝に訪れた。
見れば分かるが、朝でも十分綺麗だ。
眼下に切り裂きジャックを捉えているかもしれないと思うと気が気じゃなかったが。
第32番札所・禅師峰寺
この日は合計で4箇所ほど寺院を巡った。
その内、禅師峰寺では面白いものを見ることができた。
この写真の岩に溜まる水は潮の満干によって増減するという。
説明が「~~言われてきました」で終わっているので、本当かどうかはわからないが、もしそうなら、この岩は海と繋がっているのかもしれない。
次に訪れることがあれば、2枚目と見比べようと思う。
桂浜
そのあとは桂浜に向かうべく市内を南下した。
道中渡った浦戸大橋は勾配がきつい・路側帯が狭い・歩道も狭い・全長がそこそこ長いの四拍子が揃っていて、僕のように自転車に荷物を大量に積んだ自転車が走る道ではないと感じた。
追い越し自動車に気を使われていると感じたので、上りの途中で自転車を降りたが、橋の上でぽつんと一人歩く自分が酷く惨めに思えた。
浦戸大橋を渡ると、桂浜までの道を示した標識が出ている。
それに従い進むと、今度は山道が始まり、それを越えると駐車場が見えてきた。
自動車・バイクは有料だが、自転車は無料だ。
駐車場が広すぎて、どこから桂浜に行けるかイマイチわからず、なんとなく観光客の列に続いた。
ちょっとした階段を上るとあったのが、坂本龍馬像。
先生の話を思い出した。
噂によると、室戸岬の中岡慎太郎像と向き合うように立っているらしい。ただし、真相は不明。
龍馬像の横からは桂浜を見下ろすことができる。
天気が悪くて残念だ。
そのあと食べたのは、龍馬ラーメン。
わかめラーメンにカツオ・エビ・山菜といった、この辺りで有名な食材が乗っている具沢山のラーメンだ。
カツオの出汁を使ったスープなんて初めて聞いたが、意外とマッチしていて美味しかった。
(続く)
ブログを開設して12記事で1200PV達成した俺の"本音"を聞いてくれ
タイトルに書いたことは事実です。
僕はブログを始めた月に12本だけ記事を書いて月間1200PVを達成しました。
別にこのことを自慢したいわけじゃないんです。むしろ逆です。
何せ僕がやっていた方法って、振り返ると「あまりオススメできないな……」という方法でしたから。
ただ、その代わり、僕がやっていたことは誰にでも出来ることばかりです。
「簡単なのにオススメできない? 意味わからん」ってなりますよね。
大丈夫です。
月間1200PV達成までの経緯や方法についてはもちろん、なぜオススメできないかという点についても併せて、今から書いていきます。
一長一短、こんな癖の強い方法論で良ければご覧ください。
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ついに訪れた大寒波の日。
しかし、僕の頭の中はそれどころではなかった。
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