旅も自転車もド素人なのに四国一周した話(2)
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2018/12/19 【香川編PART1】自業自得で死にかけた話と救われた話
オーナーは「朝は事務所にいない」と言っていた。
だから、翌朝は利用客それぞれに渡された宿舎の鍵、そいつをオーナー指定のポストに投函してから宿を去った。
これからどうしようか。
またしても悩める若者のセリフに見えるが、四国をぐるりと一周するという全体の目標は不変のものとして決まっていたし、深刻な悩みではなかった。
あとは周る向きを決めるだけだ。ぼんやりとなら、昨夜の眠れないうちに答えを出していた。
徳島の方へ時計回りで行こう。
だから、「これからどうしようか」というのは、どちらかと言えば逡巡の表れだったのかもしれない。
たぶん何事もそうで、答えを出して決断を下すのは思ったより幾分簡単だ。
でも、実際に行動してみせることが難しい。
ただでさえ、僕は旅の初心者だ。旅の始め方なんてわからない。
このときペダルを漕ぎ出すことを躊躇したのも「本当に徳島方面でいいのかな」と考えたからかもしれない。
無意識に理由付けを探していると、事前に四国について調べたとき知った香川の観光スポットがいくつか脳裏をよぎった。
そのうちの一つが現在地・高松からやや東、つまり徳島方面にあったはずだ。
とりあえず、そこへ行ってみることにした。
スマホを取り出し起動したのは、MAPS.MEというオフライン地図アプリ。
事前にWi-Fi下で旅行先のマップをダウンロードしておくと、データ通信料が0で道を調べることができるという画期的なアプリだ。
ユーザー評価も高く、普通に使う分には全く問題ない。
僕はこのアプリを使って、その観光地の位置を調べた。
問題なく表示される目的地。次にオススメルートを検索。
現在地から徳島方面へ約6キロと出た。
アプリ内設定で自転車を移動手段に選ぶと、自転車に適したルートまで教えてくれた。
何も知らない土地だ。道中はMAPS.MEが示す地図とルートに頼り切っていた。
アップダウンの激しい道を汗を流しながら踏破していく。
四国の特徴としてアップダウンが激しいことは、ロードバイクを購入した自転車屋の店主から聞いて知っていた。
だから、最初は四国の道とはそういうものなのだと諦めて頑張っていた。
だが途中で、どう考えても遠回りにしか思えないルートに差し掛かった。
アプリ上では国道から外れて坂道へ上がるルートを指しているのだが、その後のルートで結局もとの国道に合流し直していたのだ。
おそらくMAPS.MEは基本的には最短ルートを示すが、移動手段を自転車や徒歩に設定した場合、多少遠回りになっても、国道のような自動車と並走することになる道路は可能な限り避けたルートを表示するのだ。
それ自体は親切設計なのだろうが、アップダウンの激しい四国では国道のほうが平坦で走りやすいため、逆効果となっていた。
しかし、それに気付いたときには既に目的地付近に着いていたため、その少し変わった仕様に対して抱いた違和感にはすぐ蓋をした。
というより、そこは僕が行きたいと思っていた観光地の一つだったのでテンションが上がってしまい、それどころではなかったというほうが正しいかもしれない。
その目的地とは、四国村。
四国村とは……、
四国民家博物館は源平の古戦場として知られる屋島山麓の地に、四国各地から古い民家を移築復原した野外博物館です。昭和51年に開設して以来、社会教育の場また観光スポットとして、「四国村」の愛称で多くの方々に親しまれてきました。自然あふれる約50,000m2の敷地には、江戸∼大正期にかけての地方色豊かな建物が配置されており、当時の生活の様子がうかがえるよう、たくさんの民具も展示されています。
平成14年に新設した安藤忠雄氏設計「四国村ギャラリー」では、絵画や彫刻、オリエントの美術品などを展示し、四国村の新たな一面を見ることができます。
また、四季折々の植物が植えられており、季節の移り変わりを感じながら先人たちの智恵や工夫、文化に直接触れることができます。
お食事・休憩には、茅葺きの古民家を改装した手打ちうどん店「うどんのわら家」、神戸の異人館を移築した「ティールーム 異人館」をご利用いただけます。
(以上、四国村ホームぺージより抜粋)
受付を済ました入村者を待ち構えているのは、かずら橋。
徳島のかずら橋は有名観光スポットの一つだが、こちらのかずら橋はそちらよりも全長が短くアクセスも良いので、さくっと手軽に体験したい人に向いている。
(四国村内部には興味はあるが橋は怖いという人のために迂回ルートも用意されている。)
写真で見ると、板と板の間隔が狭いように見えるが、実際は足一つ分ほどの隙間があってかなり怖い。
極めつけに橋の下は濁って底が見えない湖。
こっちの角度からなら伝わるだろうか。
僕はこのとき10キロ超えのリュックサック&カメラ類が入ったウエストバッグを装備、さらには片手に自撮り棒を持っていたので、足を滑らせないかという不安と物を落とさないかという二重の不安に苛まれていた。
怖すぎて、着ぐるみを着て二人三脚でもしているかのような、それはもう本当にぎこちない歩き方になっていた。
何とか無事に渡り切ると、小豆島歌舞伎舞台が姿を現した。
江戸時代、島の人たちにとって唯一の楽しみだった歌舞伎を、地元住民自らが役者になって楽しんだそう。
ここを過ぎると、今度は江戸時代の暮らしが再現されたエリアが広がっていた。
当時の農民にとって猪による畑荒らしは大変恐怖で、猪垣(ししがき)というものを作って対処していたらしい。
ちなみに、現在も四国村には猪が出るらしく笑ってしまった。
これは登録有形文化財のトイレ。
江戸時代の住居。
江戸時代後期、讃岐は白糖の生産量が日本一だったらしく、そうした当時の生業の様子が随所に展示されていた。
対して高知は和紙作りが有名だったよう。写真は原料の楮を蒸す桶。
四国の展示ばかりではなく雰囲気が変わって、こんなものなどもあった。
写真は広島の大久野島で使用されていた灯台と、各地の灯台で使われていた退息所。
灯台は25キロ先まで照らしていたらしい。
一通り見て回ると、最後に村内にある四国村ギャラリーへと向かった。
料金は無料で、ヨーロッパの絵画や彫刻・仏像・青銅器・書など幅広い美術品の展示を見ることができる。
僕の趣味嗜好として、ラスター彩陶が大変綺麗だったのを覚えている。
銀銅を主成分とした顔料で絵を描いて、それを低火度・強還元の炎で焼成していくのだが、それらの条件が上手く噛み合わないと金属的な輝きは得られないとのこと。
18世紀以降は消滅した幻の名陶だということもあって、かなり印象的だった。
(館内は撮影禁止だったので、画像はイメージ)
四国村を出て駐輪場でリュックサックを自転車に積み直していると、駐車場のほうからサングラスをかけた長身の男の人がやってきた。
偏見交じりだが、大阪でサングラスを掛けた見知らぬ男に話しかけられると、十中八九面倒くさいことになる。俗にいうダル絡みだ。
だから、このときも絡まれたら面倒だな、と思っていると、
「旅の人ー?」
と、ついに話しかけてきた。
かなり気さくな調子だったが、普段「どんな人間にも裏表はある」を信条に他人と接している僕はどうしようもなく人間不信で疑心暗鬼のため、未だ警戒を解こうとはしなかった。
何なら通行料を取られる可能性があるとすら考えていた。
もし、このとき「誰の許可で四国に上陸しとんねん、おら」と凄まれでもしたら、5円くらいはお賽銭していたかもしれない。
ところが、話を聞いてみると、香川のオススメスポットやロードバイクの専門店の情報を教えてくれた。
昨日のおじさんに引き続き、この人も親切心から話しかけてくれたのだ。
初め露骨に警戒していたことを申し訳なく思いつつ、お礼を言った。
2日目までは「旅のための旅」という感覚だった。「四国一周するために、まず香川に行くぞ」というような。
でも、こうして行きたかった観光地に来られたこと、そして大阪にいたら触れられないような人の優しさに出会ったこと、そういう経験が「やっと旅が始まったのだ」という実感を加速させた。
だからなのか何なのか、今朝に感じていたような悩みは消え失せ、徳島方面へ向かうことに迷いはなくなっていた。
徳島へ続く海岸沿いの国道の脇には、自転車でも安心して走れるようにサイクリングロードが広く平らに延々と伸びていて走りやすかった。
このとき初めて時速30キロという数字を出したと思う。
そのおかげでロードバイクが楽しくなってどんどん進んでいたのだが、引田という県境のあたりで一度漕ぐ足を止めた。
このまま海岸沿いを走って鳴門市のほうへ行くか、山を越えて鳴門市を丸ごとショートカットするか、という二択で悩んでいたのだ。
その二択というのは、例のMAPS.MEのルート検索による情報だった。
結局、鳴門市へ向かうルートだと市街に着く前に日が沈む可能性が高かったので、僕は山を越えるルートを選んだ。
こちらのルートなら、夕方には市街に辿り着けると踏んだのだ。
決断すると、僕は再びアプリの示すがままにひた走った。
山へ向かうルートというだけあって、次第に田園風景が広がってきた。
感覚を語るなら、街から町へ、町から村へと移動していくかのように、見える風景は次々に変化していった。
この経験は初めてではなく、引田に来るまでも何度かあった。
幹線道路から一本、二本と道を外れるたび、まるでタイムスリップでもしたのかと錯覚するほど景色が変わっていくのだ。
だから、このときもモダンな一戸建てが並ぶ住宅街から歴史ある民家がぽつりぽつりと点在する田園風景にスイッチしたことに驚きはしなかった。
そして、僕は何の疑いも持たず、山へと足を踏み入れた。
急こう配、カーブ、濡れた地面、山らしい要素が詰まった道路を時には自転車を降りて押し、とにかく必死に駆けた。
疲れると、休憩がてらにMAPS.MEで現在地を確認した。
まだ余裕で日は昇っていたし、そのままいけば日没までには山を越えられるペースだった。
しかし、道が険しくなると同時に、説明できない類の不安が徐々に大きくなっていった。
ただ、アプリ上では山越えまでもう少しというところまで来ていたし、引き返す気にもなれなかった。
がむしゃらに進んでいる内に、拭いきれない肥大化した不安の正体がわかった。
山道に入ってからというもの、僕以外の人を全く見かけなくなったのだ。
歩行者も自転車もバイクも自動車も何もかも不思議なまでにいなかった。
そして、その不安を確信に変えたのは、そこから少し先に進んだところにあった。
通行止めの表示。
一時的に道路が封鎖されているわけではなく、普段から通れない道。
焦ってMAPS.MEを確認する。
奇妙なことに、その地図上では、ちゃんと先にルートが続いていた。
道を間違えたわけではなかった。
しかし、だからといって「地図アプリでは道が続いているから」と先に進むわけにもいかなかった。
状況が飲み込めなくて、ただ放心した。たぶん貴重な時間を20分ほど浪費した。
正気に戻った頃には陽が傾きかけていた。冬の日没なんて一瞬だ、すぐ暗くなることがわかった。
今から引き返さなければいけないのだろうか?
土地勘のない山の中で日没?
迷子にでもなったらどうしよう?
道中で野生動物注意の看板を見た気がするな?
襲われでもしたらどうしよう?
もし、このタイミングでパンクでもしたらどうしよう?
自転車のライトが切れたらどうしよう?
いろんなことを考えた。
総じて共通していたのは「死」への恐怖だった。
今振り返ると、大したことはない笑い話だ。
ただ山で立ち往生したというだけのこと。
しかし、このときは、まだ旅自体に不慣れだったこと、当然不測の事態に遭遇した経験もなかったこと、ここまで来るのに疲れていたこと、寝不足だったこと、自分なら行けるという過信を折られたこと、自転車旅行の楽しさを掴み始めたタイミングでのミスだったこと、いろんな条件が重なって冷静な判断能力を欠いていた。
だから、本当に「このまま死ぬんじゃないか」と考えていた。
何も冷静な判断能力を欠いていたのは、このときだけじゃない。
鳴門市に向かうか山を越えるかで迷って決断したとき、冷静に地図を観察して、冷静にリスクヘッジしていたら、こうはならなかっただろう。
それに、山越えするにしてもルートくらいは自分で選べたはずだ。
MAPS.MEというアプリが必ずしも適したルートを示さないことは、四国村へ行く前に学んでいたはずなのだから。
つまり、これは自分で考えようとせず、思考停止で地図アプリに従った男の自業自得の笑い種だ。
嫌でも来た道を引き返すしか選択肢はなかった。
陽はものすごい速さで沈んでいき、行きは「木漏れ日が気持ちいいな」などと能天気なことを感じていた木々たちは深く暗い影を落としていた。
文字通り一寸先は闇だ。
道路がどちらに曲がっているのかもわからなかった。
行きは避けて通った水溜まりを踏んだ。
せせらぎが心地よかった川は、ガードレールがないところでは恐怖でしかなかった。
17時頃だっただろうか。
やっとの思いで既視感のある田園風景に逃げ帰ってきた。
街灯のような頼もしい明かりはなく、今にも球切れしそうなオレンジのナトリウム灯が不規則な間隔で並んでいた。
普段は心もとないと感じるその光源も、暗がりに殺される覚悟をした後では神からの救いのように感じられた。
ただ、安心してはいられなかった。
本来なら山を越えた後はネットカフェに行くつもりだったのだ。
つまり、宿がなかった。
気合で一晩やり過ごす、という体力は毛頭なかった。
そこで、引田周辺の宿に片っ端から電話を掛け、飛び込みで泊めてくれる場所を探そうと覚悟を決めた。
最初に電話をしたのは、引田のゲストハウス・アミーマンボス。
そして、僕はまたしても人の優しさを知ることになった。
【アミーマンボス詳細】
https://ja-jp.facebook.com/amymonbos/
(アミーマンボス公式facebook)
(アミーマンボス公式ホームページ ※2019/01/22時点、工事中)
「あのー……今晩飛び込みで宿泊させていただけないでしょうか」
「ええ、大丈夫ですよ。どうぞお越しください」
まさかの一件目。常識的には断られてもおかしくないし、何なら嫌味の一つ言われても文句は言えない時間帯だ。
ご主人の仏のような優しさが身に染みた。
ご主人に現在地を伝えると、宿泊施設までのルートや道中の飲食店の情報まで教えてくれた。
ご主人おすすめのスーパーでは夜の値引きセールが始まっており、唐揚げやコロッケ、お弁当などのお惣菜が全品100円で売られていた。本当に恵まれていた。
ご主人に教えられた通りのルートを辿っていくと、大きな池の埋め立て地にアミーマンボスは建っていた。
ドラマやアニメに出てくるコテージのように大きく落ち着いた雰囲気。物腰の柔らかいご主人。閑静な土地。格安の宿泊料金。すべてが完璧だった。
しかし、それだけではなかった。
一般的にゲストハウスというのは個室と相部屋タイプのドミトリーが選べる。
もちろん個室のほうが料金は高いのだが、ご主人はこの日たまたま僕以外の利用客がいなかったことから、個室をドミトリー料金で使わせてくれると言ったのだ。
ここまでくると、こんなに良くしてもらっていいのかと逆に頭を抱えるレベルだ。
個室に案内されると、今度は驚いた。
てっきり6畳一間くらいのものかと思っていたのだ。
しかし、目の前に広がったのは優に10畳はある和室とダブルベッドが置かれた寝室、セパレートタイプの洗面所。
冗談やお世辞何一つ抜きで、そこらへんの旅館より遥かに素晴らしかった。
それなりに疲れ切っていたせいで、写真が一枚も残っていないのが残念だ。
ただ、それでも、記憶には鮮明に残っている。
それくらい良い宿だったということが伝われば幸いだ。
しかも、翌朝にはスープとめちゃくちゃデカいどら焼きをサーブしてくれた上に、スポーツボトルにアクエリアスを入れて持たせてくれた。
この日は自業自得で死ぬ思いをしたわけだが、全く嫌な思い出にならなかった。
こうして笑い話として書けているのは、アミーマンボスのご主人や四国村で出会ったサングラスのお兄さんなど、沢山の優しさが嫌な思い出を塗り替えてくれたからだと思う。
本当に有難く忘れられない経験をさせていただいた。
(続く)