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旅も自転車もド素人なのに四国一周した話(3)

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2018/12/20 【香川編PART2】10キロの山を越え、徳島入りした話

 サブタイトルを見て、自分でも「懲りないなぁ」と思う。

 山に対してはすっかりトラウマになっていたのだが、だからこそ、昨日とは山への臨み方が違っていた。

 

 夜のうちに越える山を吟味、よくわからない地図アプリではなくGoogleMAPの航空写真で道路の様子を観察、当日は早朝に出発して時間をたっぷり用意し、入ろうとしている山道に踏み入る人が他にもいることを確認、……以上のことを一通りこなしてから、僕は再び山に挑戦した。

 

 無論、上に書いたことは旅の先輩方や登山家の方々にとっては至極当たり前のことだ。

 改めて昨日のことは「旅の初心者」を免罪符にしていいような可愛いミスではなかったと思う。並みの注意力があれば、防げたことだった。

 ただ振り返って恐ろしいと思うのは、注意力が欠落した状態で旅していることに自分自身で気付かなかったことだ。

 判断能力や思考能力が鈍るほど疲弊していたことはもちろんだが、知らず知らず「知らない土地に一人ぼっち」という状況に呑み込まれていたことも原因の一つだと思う。

 

 あとは、僕の「旅の計画なんて立てても、どうせ計画通りに進まないだろうし、なるようになるだろう」という楽天すぎる性格が悪いように作用していた。

 というか、今思うと完全にこの性格のせいだ。

 でも、こうして一度痛い目を見たおかげで、僕はこの日以降、四国一周を達成するまで、ただの一度も道に迷うことはなかった。

 

 閑話休題

 引田から10キロほど海岸沿いを鳴門方面へ進んだあたり。僕がこの日のルートに選んだ山道はここから分岐していた。

 たしか四国霊場第1番札所 霊山寺 方面」という標識も出ていたし、対向車とも何度もすれ違ったので安心して臨むことができた。

 

 とはいえ、山を越えて市街に着くには10キロほどの道のりがあった。

 楽に登れたわけではない。

 単純に考えて登りだけで5キロ。

 

 最初は意気込んでいたのだが、途中から勾配がきつくなり、どんどんスピードは落ちていった。

 時速20キロ、16キロ、11キロ、8キロと落ちていくのに比例して汗の量は増え、ふくらはぎもピクピクし始めた。

 時速8キロを下回ったときのことだ。僕はある考えに行きつく。

 「たぶん自転車を降りて押しても速度変わらないな」と。

 

 それに、そちらのほうが体力的なコストパフォーマンスがいい。

 案の定、自転車を降りても時速7~8キロあたりをキープしていた。

 それまでは追い越していく自動車を恨めしく眺めていたから、精神衛生上も随分良くなった。

 待避所に差し掛かると、アミーマンボスのご主人からいただいたアクエリアスを浴びるように飲んだ。

 

 それから山道特有の曲がりくねった道を数えきれないほど攻略すると、勾配が緩やかになってきた。

 下りが始まるという合図だ。

 たぶん「やったー!」と声に出していたと思う。 

 ただ、登りが急こう配だったということは下りもそれなりに急な坂道だということを意味していた。

 

 山道だとか坂道だとかいうものは非常に厄介なもので、登りではスピードが出ず苦労し、下りでは事故防止の観点からスピードを出すわけにはいかない。

 対向車はほとんどいなかったが、カーブが急だったため、僕は強めにブレーキをかけて下った。

 もちろん登りよりは楽だったが、どこか損した気分になったのを覚えている。

 

 坂がなだらかになってくると、それまで山の木々に遮られていた視界が徐々に広がってきた。目に映ったのは市街、そして、それは徳島だった。

 霧雨が降り始めていたが、達成感から心は晴れやかだった。

 

 しばらく散策していると、面白い光景に出会った。

 きっかけは白装束に笠を被り杖を突く人とすれ違ったことだった。

 珍しい格好をする人がいるものだと思っていたら、とある寺から似たような恰好をした人たちが次々と出てきたのだ。

 

 どうやら彼らは「お遍路さん」というらしい。

 四国四県に点在する八十八か所の寺院を周る人たちの総称で、そうした参拝のことを「四国遍路」というのだ。

www.88shikokuhenro.jp

 

遍路とは、四国にある八十八の札所を拠点としながら四国全体を巡礼する行為です。八十八の寺院は、いずれも歴史が古く、お大師さま(弘法大師)との由緒があると伝えられています。お大師さまは、ご生誕の地である四国で修行をされました。そこで自らの生き方を考え、理想を求められ、一人でも多くの人々にそのことを伝えたいと祈り、苦労を忍ばれました。お大師さまは、鎮護国家・済世利民を強調され、人々が幸せであり、繁栄することを理想とされました。私達一人一人が自らの能力、才能を存分に生かしきる生き方を目指し、努力することも勧められました。そのお大師さまの御跡を慕い同行するのが遍路です。
また、遍路は心の変革をもとめる行為でもあります。別段深く考えなくとも、ただ寺を巡っていくうちに、自ずと心の変革がなされていくともいわれています。難解な書物を読んだり、難しい経典を解釈し、常人が及ばぬ苦行を積むということを求められているのではありません。しかし、霊場を遍路するという行為は、一時的にせよ聖域への現世離脱的な行為であり、さまざまな作法や決まりごとがございます。実際の行動に移る前に、あらかじめ、心がけや行動に込めた意義を心に刻んでおけば、遍路がいっそう深められるのは確かでしょう。古来より遍路では「祈り」が大切だといわれております。ご丁寧にご本尊さま、お大師さまをお祈りください。

(以上、公式ホームページより抜粋)

 

 ようするに、お遍路、つまり八十八の寺院を巡る中で自分の人生を見つめ直すことができるということらしい。

 また、そうすることで人間が持つ八十八の煩悩が消え、願いが叶うと言われている。

 

 そして、このとき僕の目の前にあったのが四国霊場第1番札所 霊山寺であり、八十八の最初の寺院だったのだ。

 お遍路さんが多いのはそういう理由だった。

 

 霊山寺から出てくるのは中年の方ばかりだったが、中には若い女性もいた。

 これを言い換えると、僕のような若い男はほぼほぼ皆無ということ。

 ところが、僕は「お遍路、挑戦してみたい!」と思った。

 

 宗教なんて興味も関心もなかったし、それっぽいことと言われれば初詣とお墓参りくらいしか接点のない人生だったが、人生を見つめ直すというコンセプトに惹かれたのと、四国に来たからには四国でしか出来ない体験を沢山しようと決めていたのが動機だった。

 

 受付の方に話を伺ってみると、先ほど見た白装束はお遍路の正装ではあるが、必ずしも従う必要はないということだった。

 僕は自転車だったので可能な限り荷物は増やしたくないというのが本音だ。

 その旨を相談すると、御朱印をいただくための納経帳・参拝の証として納める納札・ロウソク・線香が必要最低限の用品だというお答えをいただいたので、それらを購入することにした。

 

 早速、霊山寺の山門をくぐり参拝した。

 細かい参拝手順は先ほどのホームぺージを参照した。

 

 八十八の寺院は遍路道という道路で繋がっており、次の寺院の方向を示した標識もそこかしこに立っているので、2番の極楽寺にもスムーズに到着した。

 ひと際存在感を放っていたのは長命杉と仏足石。

 

 この日はこの調子で5番の地蔵寺まで参拝した。

 

 地蔵寺御朱印をいただいた際、納経所の方が「旅してるの?」と話しかけてくれた。

 旅っぽい装備は全て自転車に置いてきていたのだが、何故か見抜かれた。

「旅の人は雰囲気でわかるのよ」

 と納経所の方。

 

 いくつか世間話を交わしていると、話の流れはこの日の宿のことへ。

 徳島市のネットカフェに行くことを考えていると伝えると、納経所の方は知り合いの格安宿のご主人に仲介してもいいと仰ってくれたのでお願いすることにした。

 

 旅人の宿 道しるべという宿はたしかにネットカフェの利用料金と変わらない値段で一晩泊まることができた。

michishirube-yado.com

 

 ドミトリーでお願いしたのだが、僕以外の利用者はおらず、実質個室感覚でリラックスすることができた。

 お風呂も大浴場で、風呂上りには素泊まりだったにもかかわらず一品おかずをいただいた。写真の左上がそうだ。

 これで一泊2625円というのは破格すぎた。

 

 

2018/12/21 【徳島編PART1】宇宙一美味しかったよもぎ餅の話

 この日はもっぱらお遍路に取り組んだ。

 4日目までの慌ただしさが嘘のように、落ち着いた一日だった。

 

 それは、自分が一日にどれだけ走れるのかを経験則的に理解してきて、夜のうちにしっかりした行動計画を練れたおかげだったと思う。

 

 ここからは巡った寺院で撮った写真を一部紹介していこう。

 一枚目、熊谷寺の多宝塔。

 

 二枚目・三枚目、法輪寺の庭園。

 

 法輪寺のすぐ前にはあわじ庵という、うどん兼お餅屋さんが暖簾を構えている。

 僕が山門の脇で次に向かう予定の切幡寺へのルートを調べていると、そこのお母さんがやってきて、

「疲れてるでしょ。お餅食べる?」

 と、よもぎ餅を二つ差し出してくれた。

 

 四国には「お接待」という、四国遍路に取り組む人を親切におもてなしする文化がある。

 お母さんも「お接待だから気にしなくていい」と言ってくれたのだが、親切にしてもらった側としては一生忘れられない経験だ。

 今更書くことでもないが、ここらで一つ確信したことがある。

 四国の人は優しい。

 

 そのよもぎ餅をいただくと、疲れも吹き飛ぶようだった。

 リフレッシュしたところで、切幡寺へ向かった。

 

 写真は切幡寺の山門へ続く333段の階段。

 自然と「嘘だろ」と声が漏れたが、どうせなら楽しく行こうと、段数を数えながら上がることにした。10段くらい足りなかった、おかしい。

 

  そういえば、階段をぜいぜい言いながら上っていたとき、運動部のような格好の人達とすれ違った。

 もし、往復666段をトレーニングコースにしているのなら、相当ハードだ。

 僕も「ランニングが趣味」なんて謳いながらこのザマなので、もっと精進しなければいけない。

 

 こうやって寺院を巡っている内に、徳島について気付いたことが一つある。

 みんな驚くほど挨拶してくれるのだ。

 

 すれ違った運動部の彼らも「んちはーす!」と元気に挨拶してくれた。

 何度も同じ下りを繰り返して申し訳ないが、大阪だと、まずこういうことはあり得ない。よくて体裁を繕うため近所の人にいやいや挨拶するくらいだ。

 ところが、徳島の人々はみんなニコニコしながら声をかけてくれるのだ。

 ときには、「自転車はこっちのルートのほうが行きやすい」とお役立ち情報まで教えてくれた。

 

 心がカチカチに凍っている僕には、そういう何気ない気配りが心に染みた。

 

 

 この日の夜は徳島市のネットカフェに滞在することにした。

 ……の前に、近くにあった大型銭湯・あらたえの湯に立ち寄った。

aratae.jp

 ここがまたすごく、大浴場や露天風呂はもちろんのこと、炭酸泉や岩盤浴まで備えている。それだけでなく、ボディケアやフリーWi-Fiなど他のサービスも充実していた。

 多くの人で賑わうのは納得だった。

 お湯の質も当然良く、2時間ほど浸かっていたと思う。

 

 振り返れば本当に穏やかな一日だった。

 

 (続く)